2008年07月01日

高度情報化袋叩き社会


イタリアのフィレンツェにある世界遺産サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に高校の野球部監督が落書きをしていたことが発覚し、監督職を解任された。 「名前を書くと幸せになれる」と説明を受け現地の業者より油性ペンを購入したとのことだったが、事実だとすると現地業者の言に、彼は素直かつまじめに反応している。 落書きすることで監督解任に至ったから、「名前を書いて不幸になった」けれど。 
しかし、監督職を解任までする必要があるのだろうか? 落書きは星の数ほどあるが、ほとんどは個人が特定できない状態で存在している。 むろん世界遺産への落書きは悪いことだが、ほとんどの落書きをした者はなんら罰を受けることなく、隠れて今までと変わらない社会生活を営んでいる。 
個人が特定できると正義から袋叩きだ。 

先に廃業した船場吉兆のささやき女将と呼ばれた湯木佐知子氏は、牛肉の偽装から客の食べ残しを使いまわしていた事件発覚まで、食品の安全を揺るがした不祥事で認識の甘さを謝るたびにマスコミはこぞってそれを大きく取り上げ叩いた。 叩けば叩くほど番組視聴率が伸び、雑誌部数が売れる。 インターネット掲示板でも大半が批判的な言葉を浴びせかける内容だったかと思う。 最近も食品偽装発覚は後を絶たず、そのたびごと暗い気持ちになるが、わたしがその時思ったのも巨悪が構造的に常に隠れており、その一部が明らかになった途端にそこだけが集中砲火を浴びている袋叩きの印象だった。 むろん食品偽装は悪いことなのだが。

倖田來未「羊水腐る」発言のときもそうだ。 タイミングやポジションで同じ事を話してもさほど問題にならなかったかも知れない。 しかもラジオを聴いてなかったものが多いのに聴いてなかったものですら、誰かの発する又聞きの言に鋭く反応する。 どんな話の流れてそういう発言をしたのか明確に把握できていないのに「なんて酷い発言をするんだ」と木霊する。 彼女が光り輝いて活動していればいるだけ、それも袋叩きだった。

 高度情報化社会では個人に入ってくる情報の量が、人間の通常処理できるレベルを超えているのではないだろうか。 かつて、ビジネスで成功する者はいらない情報が入って来ない様にすることがうまいと聞いた。 なかなかそれができないものは、行ったこともない世界遺産に、行ったこともない料亭、聴いたことの無いラジオ番組の内容に自分の好き勝手なイメージを重ね、間接的情報を直接的情報と捉えて瞬間の判断を下す。 保留したり相対意見を考えたりする時間的余裕も無いまま良いか悪いかの判断だけを迫られる。 それがひとたび悪いと決まると一気に寄って集って袋叩きだ。 高度情報化袋叩き社会といっていいだろう。 それはマスコミを中心にしていつも袋叩きのできる対象をサーチしている。

話は落書きに戻るが、この事件発覚に至る大元は、落書きの写真がインターネットの野球部応援掲示板などに掲載され、茨城県高校野球連盟に指摘があったことだという。 実はわたしが一番興味を惹かれたのは、掲示板に落書き写真を掲載した者の心である。 そこにはどんな動きがあったのだろう。 高校の野球部監督を社会的に封殺することで得られるなんらかの快楽を求めたのだろうか? 人によっては正義をかざしているときほど高揚していることはないから。
 
落書きに関しては、少なからず解雇は厳しすぎるという意見も多い。そういう意見を見聞きすると日本人の良識に少し安心する。

大聖堂の主は寛容を持って彼の落書き許してくださるのではないだろうか。
posted by 瞬夏 at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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